<映画レポート>「パピチャ 未来へのランウェイ」
【ネタバレ分離】昨日観た映画、「パピチャ 未来へのランウェイ」の鑑賞レポートです。
もくじ
映画基本情報
タイトル
「パピチャ 未来へのランウェイ」
2019年製作/109分/G/フランス・アルジェリア・ベルギー・カタール合作/原題:Papicha
配給:クロックワークス
キャスト
ネジュマ:リナ・クードリ/ワシラ:シリン・ブティラ/サミラ:アミラ・イルダ・ドゥアウダ/カヒナ:ザーラ・ドゥモンディ/メディー:ヤシン・ウイシャ/マダム・カミシ:ナディア・カシ/リンダ:メリエム・メジケーン
スタッフ
監督: ムニア・メドゥール /脚本:ムニア・メドゥール
公式サイト
パピチャ 未来へのランウェイ
(公開後、一定期間でリンク切れの可能性あり)
映画.comリンク
作品解説
1990年代のアルジェリア内戦(暗黒の10年)を背景に、ファッションデザイナーを志す少女の視点を通して、イスラム原理主義による女性弾圧の実態を描いた人間ドラマ。アルジェリアで17歳まで過ごし、これが長編映画監督デビュー作となるムニア・メドゥールが、自身の経験から生み出した。2019年・第72回カンヌ国際映画祭ある視点部門で上映されて称賛を集めるも、本国アルジェリアでは当局によって上映禁止となった。
あらすじ
90年代、アルジェリア。ファッションデザイナーを夢みる大学生のネジャマは、ナイトクラブで自作のドレスを販売していたが、イスラム原理主義の台頭により、首都アルジェでは女性にヒジャブの着用を強要するポスターがいたるところに貼りだされていた。そんな現実に抗うネジュマは、ある悲劇的な出来事をきっかけに、自分たちの自由と未来をつかみ取るため、命がけともいえるファッションショーの開催を決意する。
満足度
(4/5.0点満点)
鑑賞直後のtweet
映画「パピチャ 未来へのランウェイ」
予想通り重かった。舞台の国アルジャエリアでは当局から上演禁止指定らしい。カメラワークにこの手法を選んだ理由がとても気になったけど、ラスト近くで、表現したい事が自分の中で言葉になって、それと一致したように見えた。…あるいは単に何かの制約からか? pic.twitter.com/De6FOCECe2— てっくぱぱ (芝居が好き・映画も好き) (@from_techpapa) October 31, 2020
感想(ネタバレあり)
カメラワークの意図が、終始、気になった。
どのシーンも、すごく寄っている。「アップ」と呼ぶ方がふさわしそうな「寄り」の画が続く。しかも、ハンディカメラ?を使ったような撮影しているので、画面が揺れる。揺れるので、酔いそうになる。映画「クローバーフィールド」などの影響で流行った、一人称視点っぽい撮り方かな、と思ったが、物語のとらえ方は、むしろ「二人称」。ネジュマの闘いを追いかけて見ている、最も近い人物からの視点、のような映像に見える。
カメラワークで「寄り」の視点が続く事もあり、世界の全体感が、一向に見えないのが、少し不思議だった。アルジェリアという国が、どういう状況にあるのか。どうしてヒジャブを被らないと襲撃されるくらい、過激なイスラム教徒がいるのか。説明されている個所は、殆ど無かったように思う。「二人称」で彼女に寄り添う映像なので、お話の流れは掴めるし、ネジュマを襲う数々の悲劇的な出来事を身近で観る事が出来る。しかし、彼女をとりまく世界が、見る側の心の中で、像を結ばない。…もちろん、事前の紹介文を読んでいると、アルジェリアの90年代の内戦時の話だというのは分かる。けれど、映像として、その点を語っているものは、一般的な世界情勢の知識で観ている限りは、ほぼ無かったと思う。
しかも、「寄り」の画が続いたかと思うと、突如「引き」のシーンが、ごく短く挟まれたりもする。シーンの転換点では、遠くから景色の一部のように人を撮る「引き」のシーン。安定した映像にしてくれると見やすいいんだけれど…と思うと同時に、「引き」の視点も、意識はしているけれど使わないんだな、というのを感じる。徹底しているので、何か意図があるのかなと考える。「引いた」全景を撮ってしまうと、余計なものが映り込んでしまって、物語に矛盾が出てくる・・・要はロケ地を選べないという制約があったのか。(公式ホームページによると、撮影は全編アルジェリア国内て行われたそう。)あるいは、意図的に見せないようにしているか。そんな予想を立ててみる。
ネジュマは強い。姉を殺されても、友達に裏切られても、とにかく自分を貫く。その姿が美しい。でも、アルジェリアで生きるが故の、視野の狭さ、みたいなものが見え隠れする。金持ちの恋人に国を出よう、と誘われたとき、確かに男の本性は不明だけれど、まずは国外に出てから考えるのもアリなんじゃないのか、などと、見ている側は思ってしまう。その誘いにも乗らず、この国が好き、今に満足している、と、耳を貸すこともないネジュマ。脚本は、ムニア・メドゥール監督の自身の体験をベースにしているようだが、彼女の略歴を見ると、内戦時にフランスに移住している。移住は選択肢のはずなのに、この時のネジュマにその未来は、見えていない。徹底的に「寄り」の視点、視野の狭さのままの状況が描かれる。
ラスト近く。何者かに部屋を滅茶苦茶に荒らされ、ファッションショーは一度中止に追い込まれる。怒りを露にするネジュマ。このシーンを見ていて、ふと思う。「寄り」の画像は、この「嫌がおうにも視野が狭くなってしまう事への、怒り」を、生々しく描くためだったんじゃないか。
「引き」の視点で、政治や宗教や国、その他、周りの状況を描けば、なぜ怒っているのか、その事情は伝わる。けれど、本質的に伝えるべきは、きっとそこではない。どこにもぶつける事が出来ないまま、視野を広げようのない状況に置かれた、やり場のないネジュマの激しい「怒り」そのもの。フランスに移住したメドゥール監督、多くの苦難を乗り越えて、映画監督をつとめるほどの視野を手に入れたのだろう。政治的な問題をからめて、作品を作る余裕も、持っているのではないかと想像する。それでもその「余裕」の視点には立たず、少し不自然にも見えるカメラワークを使う事で「怒り」を純粋に描く。「寄り」の映像は、メドゥール監督自身の、過去の自分自身の「怒り」に「二人称」で向き合う、そのための演出だったのではないか…。そんな風に思えてきた。
ラストの、ファッションショーのシーン。希望のある、しかし、底抜けに救いのない映像を見ながら、少し突き放した、しかし生々しい「怒り」の感情について、考えさせられる映画だった。
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